時代が歪んで動いている音
なり恋
みぞ西(事変の「三十二歳の別れ」より、みぞれ32歳、智42歳)
死ネタ
みぞ西(事変の「三十二歳の別れ」より、みぞれ32歳、智42歳)
死ネタ
「三十二歳の別れ」より
時代が歪んで動いている音
「みぞれは優しいね・・・・真面目で・・・・誠実で。そんなきみとだから、僕はこんなに幸せになれたんだ。」
彼は、病床でそんなことを繰り返し言う。
だから、僕はその度、なんだか最後の言葉みたいだからやめてくださいと言う。
「・・・・そんなこと・・・ないですよ。智さんが優しいからです。」
僕がいつもと同じようにそう言うと、きまって彼はこういうのだ。
「・・・きみの10年、僕にくれてありがと。・・・・僕が居なくなったら、僕の事は忘れてね?僕の持ってたものも全部捨てて、みぞれはみぞれとして、新しい人生を歩んでいってね。・・・自由になって幸せになって・・・ね」
そして何度目かのそれが最後の言葉になった。
一時だけ意識が正常になったときにぽつりと、いつものように笑いながら、しかしやせ細った力のない笑顔で言ったのだ。
その後はまるで長い夢でもみているように、ときどき表情を緩ませたりしながら、現実と向こう側の間を行ったり来たりしていた。
何度も逝かないでください一人にしないでくださいってうわごとのように彼の前で繰り返したのだけれど、それは神様も彼も聞き入れてくれなかったみたいだ。
最後の音を聞きながら、慌ただしく走り寄る看護士や医師たちを虚ろな気持ちで見ていた。
そのうち死亡後の手続きや葬儀の手続きなどの話が医師の口から告げられ、たった今彼から彼の中身だったものが消えて、悲しみにくれる心にさらに彼の抜け殻の、しかし愛しい体が灰になるのだという事実がのしかかって来る。
ーーー嫌だ、彼の体を離したくない。
ーーー彼だったものを一つだって失いたくないのに。
医師が、僕を諭すように言った。
「藤川さん、本当に、このままでは・・・・困ります。死後数時間のうちに手続きをしていただかないと・・・・遺体を何時間も預かることはできませんので・・・・すみませんが・・・・」
「わかってます。でも・・・・ちょっと待ってください。いま、頭が混乱しているんです。・・・・ッ、」
医師の「遺体」、という言葉に今まで止まっていた涙が急にこみ上げて来た。
彼と過ごした10年。彼を追掛けて彼だけを見ていた10年。僕の20年はずっと彼だけの為にあった。それが頭の中でドラマみたいに流れていく。
涙は止まらなくて、医師が困った顔でこちらを見ていた。
けれど、この涙を止める術なんてないんだ。
なりふり構っていられるほど、智さんが言っていたほど、僕は大人にはなれていなかった。
「ッ、智、さん・・・・、なんでっ、!智さん・・・・!いやです、離れたくないんですっ、智さん・・・・!」
僕はここで、彼が意識を失ってから初めて彼の体に触れた。
僕の記憶の中の彼よりずいぶん小さい気がした。
あんなに何度も抱き合い彼のからだのことなら何だって知っていると思っていたのに、まるで知らない人の体みたいだった。
そして温度もなく、僕の知っているあの甘い香りもせず、するのは消毒のキツいアルコールのような匂いだけ。
後ろの方で医師がまた何か言ったのが聞こえた気がするけれど、もうそんなものどうだっていい。
ただずっと、彼を抱きしめて音のしない胸に耳を当てて、彼に着せられた白い死装束を涙で濡らした。
「・・・智さん・・・・貴方が居なくなったら、僕はどうしたらいいんですか・・・?貴方がいないのに・・・・。貴方がいないと、僕・・・・、智さんがいないのにっ、どうやって幸せになったらいいんですか?貴方以外・・・・何も要らないのに・・・・ねえ、ずっと一緒にいましょうねって言ったのに・・・・」
「おい、みぞれ、大丈夫か?」
大きな声にハッとして顔を上げたら、見慣れた人の顔があった。
「師匠・・・・・、大丈夫、ですよ。ちょっとぼーっとしてただけですから。」
気がつけば、いつの間にか彼の葬儀は終わっていて、僕は一人で住むには大きすぎる部屋で、ふたりの思い出が染み付いた部屋のリビングにもどっていた。
「・・・お前・・・・あんだけ泣き叫んでたら仕方ねえけどさあ。これで一段落だけど・・・まだ遺品の整理とか残ってんだから、しっかりしろよ?」
師匠が彼も彼で辛そうな顔をして言った。
「・・・・・遺品なんて・・・ありませんから。」
「・・・・みぞれ」
「師匠。僕は・・・智さんの持ち物を捨てる気はないんです。僕は、智さんの為に生きて来たんですもの。・・・智さんがいなくなってもどういう訳かまだ生きていますけど・・・でも、僕はあの人とずっと一緒に居るって結婚する時に誓ったんです。だから、智さんがここに居なくたって、僕の人生は智さんのものなんです。・・・だから、また、智さんを追掛けるだけです。」
笑っていうと、師匠は目を見開いて、後ろ頭をかいて頷いた。
だから、僕はまた、彼を好きになってから、彼を手に入れるまで過ごした10年みたいに、僕の人生が彼に追いつくために生きるだけ。
「ふふっ、智さんって、いつだって僕より先に行きたがるんですから・・・困ったものですね」
そう言ったら、どこからともなくあの彼の甘い匂いがしたきがした。
(だからまた、いつか追いついてみせますから。そうしたら、またプロポーズしますね。)
(けれどやっぱり貴方がいない僕の人生の意味はとうに消えてしまった。
そう、だから僕の耳にはいまでもそれを言ったときの彼の声と、表情と、すべてそのまま残っていて、あの日から時は止まったまま。
僕の心は二つに割れて取り残されたまま、それでも周りの季節は進み、年を重ねて行く。
まるで錆び付いた時計の歯車が奇妙な音をたてて歪んで進んで行くみたいに。)
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時代が歪んで動いている音
「みぞれは優しいね・・・・真面目で・・・・誠実で。そんなきみとだから、僕はこんなに幸せになれたんだ。」
彼は、病床でそんなことを繰り返し言う。
だから、僕はその度、なんだか最後の言葉みたいだからやめてくださいと言う。
「・・・・そんなこと・・・ないですよ。智さんが優しいからです。」
僕がいつもと同じようにそう言うと、きまって彼はこういうのだ。
「・・・きみの10年、僕にくれてありがと。・・・・僕が居なくなったら、僕の事は忘れてね?僕の持ってたものも全部捨てて、みぞれはみぞれとして、新しい人生を歩んでいってね。・・・自由になって幸せになって・・・ね」
そして何度目かのそれが最後の言葉になった。
一時だけ意識が正常になったときにぽつりと、いつものように笑いながら、しかしやせ細った力のない笑顔で言ったのだ。
その後はまるで長い夢でもみているように、ときどき表情を緩ませたりしながら、現実と向こう側の間を行ったり来たりしていた。
何度も逝かないでください一人にしないでくださいってうわごとのように彼の前で繰り返したのだけれど、それは神様も彼も聞き入れてくれなかったみたいだ。
最後の音を聞きながら、慌ただしく走り寄る看護士や医師たちを虚ろな気持ちで見ていた。
そのうち死亡後の手続きや葬儀の手続きなどの話が医師の口から告げられ、たった今彼から彼の中身だったものが消えて、悲しみにくれる心にさらに彼の抜け殻の、しかし愛しい体が灰になるのだという事実がのしかかって来る。
ーーー嫌だ、彼の体を離したくない。
ーーー彼だったものを一つだって失いたくないのに。
医師が、僕を諭すように言った。
「藤川さん、本当に、このままでは・・・・困ります。死後数時間のうちに手続きをしていただかないと・・・・遺体を何時間も預かることはできませんので・・・・すみませんが・・・・」
「わかってます。でも・・・・ちょっと待ってください。いま、頭が混乱しているんです。・・・・ッ、」
医師の「遺体」、という言葉に今まで止まっていた涙が急にこみ上げて来た。
彼と過ごした10年。彼を追掛けて彼だけを見ていた10年。僕の20年はずっと彼だけの為にあった。それが頭の中でドラマみたいに流れていく。
涙は止まらなくて、医師が困った顔でこちらを見ていた。
けれど、この涙を止める術なんてないんだ。
なりふり構っていられるほど、智さんが言っていたほど、僕は大人にはなれていなかった。
「ッ、智、さん・・・・、なんでっ、!智さん・・・・!いやです、離れたくないんですっ、智さん・・・・!」
僕はここで、彼が意識を失ってから初めて彼の体に触れた。
僕の記憶の中の彼よりずいぶん小さい気がした。
あんなに何度も抱き合い彼のからだのことなら何だって知っていると思っていたのに、まるで知らない人の体みたいだった。
そして温度もなく、僕の知っているあの甘い香りもせず、するのは消毒のキツいアルコールのような匂いだけ。
後ろの方で医師がまた何か言ったのが聞こえた気がするけれど、もうそんなものどうだっていい。
ただずっと、彼を抱きしめて音のしない胸に耳を当てて、彼に着せられた白い死装束を涙で濡らした。
「・・・智さん・・・・貴方が居なくなったら、僕はどうしたらいいんですか・・・?貴方がいないのに・・・・。貴方がいないと、僕・・・・、智さんがいないのにっ、どうやって幸せになったらいいんですか?貴方以外・・・・何も要らないのに・・・・ねえ、ずっと一緒にいましょうねって言ったのに・・・・」
「おい、みぞれ、大丈夫か?」
大きな声にハッとして顔を上げたら、見慣れた人の顔があった。
「師匠・・・・・、大丈夫、ですよ。ちょっとぼーっとしてただけですから。」
気がつけば、いつの間にか彼の葬儀は終わっていて、僕は一人で住むには大きすぎる部屋で、ふたりの思い出が染み付いた部屋のリビングにもどっていた。
「・・・お前・・・・あんだけ泣き叫んでたら仕方ねえけどさあ。これで一段落だけど・・・まだ遺品の整理とか残ってんだから、しっかりしろよ?」
師匠が彼も彼で辛そうな顔をして言った。
「・・・・・遺品なんて・・・ありませんから。」
「・・・・みぞれ」
「師匠。僕は・・・智さんの持ち物を捨てる気はないんです。僕は、智さんの為に生きて来たんですもの。・・・智さんがいなくなってもどういう訳かまだ生きていますけど・・・でも、僕はあの人とずっと一緒に居るって結婚する時に誓ったんです。だから、智さんがここに居なくたって、僕の人生は智さんのものなんです。・・・だから、また、智さんを追掛けるだけです。」
笑っていうと、師匠は目を見開いて、後ろ頭をかいて頷いた。
だから、僕はまた、彼を好きになってから、彼を手に入れるまで過ごした10年みたいに、僕の人生が彼に追いつくために生きるだけ。
「ふふっ、智さんって、いつだって僕より先に行きたがるんですから・・・困ったものですね」
そう言ったら、どこからともなくあの彼の甘い匂いがしたきがした。
(だからまた、いつか追いついてみせますから。そうしたら、またプロポーズしますね。)
(けれどやっぱり貴方がいない僕の人生の意味はとうに消えてしまった。
そう、だから僕の耳にはいまでもそれを言ったときの彼の声と、表情と、すべてそのまま残っていて、あの日から時は止まったまま。
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まるで錆び付いた時計の歯車が奇妙な音をたてて歪んで進んで行くみたいに。)
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