君がいない世界
伊日
「花珠」の続き
「花珠」の続き
君がいない世界
忘れてしまえば、知らない振りをすれば、楽なのに、それもできないくらいに心から愛していた。もはや、これは愛より執着に近い。
愛が憎しみに変わる程、自分の知らない世界が彼にあることが、耐えられなかったのだ。
同じ物をみて、同じ音を聞いて、同じ道を歩んでいたいと願った。
けれど、同じ物を見て同じ音を聞いて同じ道を歩んでも、そこには超えられない一線があって、どうやってしても、同じ気持ちを、同じことを、考えることができなかった。
そんな些細な違いさえももどかしかった。
だから、それならせめて、ずっと自分だけを見ていて欲しかったのだ。
空は晴れ渡り、澄み切って、この地上に立ちすくむ醜い自分の存在を赦さないような色をして、責めた。
窓から注ぐ太陽の光が眩しく床を、散乱した衣服を、淫媚な空気を孕む部屋を照らす。
「どうして、貴方が泣くんです?」
菊が、輝きを失った真っ黒な髪を梳いていた手に、小さな手を重ねて来て、言った。
泣いている事に気がつかなかったから、「泣いてる?」と聞き返すと、その手が頬を拭ってくれた。
「貴方は本当に、泣き虫さんですね」
彼のバター色の膚に散る赤い模様を辿る目をそのままに、心地よい声を聞いていた。
「・・・泣いてないよ、」
「泣いてますよ。」
掠れた声の返事をもらって、ふ、と笑った。
「そう、笑ってくださいな。私は・・・・フェリシアーノくんにはその顔の方が似合うと思います」
何処までも、彼は優しかった。
どれだけ傷つけても、むちゃくちゃにしても、彼はそうやって、笑うのだった。
それがまた、この心に重くのしかかるというのは、彼は知らないのだろう、彼には理解できないのだろう。愛しいというのに、こんなにも笑顔が憎い。
その、笑顔が、眼差しが、声が、耳が、膚が、全て自分のものになればいいのに。
きっとそれを言ったって、菊は笑って、「いいですよ」と言うのだろう。
「ねえ、菊、愛してる。だから、ずっと、俺だけを見てて・・・」
滑らかな膚を、指で辿りながら、そう言うと、少し頬を上気させて、菊は一つ、頷いた。
遠くで、船の汽笛が大きくなり響いた。
「フェリシアーノくん、すみません。わたし・・・・ここを出ようと思います。」
菊は、項垂れてそういった。
戦争が激しくなって、異国人の排斥運動が厳しくなってきたころだった。
何度か、ここに住む菊のことをどこからか聞きつけて、出て行けと何人かが抗議にやってきたことがあった。
そのうち、もっと戦争は危機的状況になり、いつの間にか、この街から彼と同じ色の眸と、髪を持つ人は誰もいなくなった。こんな小さな港町だ、それも仕様のないことだった。
「やだ。やだよ!だって、菊はなにも悪い事しないもん!俺、絶対守るから、だから、行かないでよ!」
「違うんです、私はどうだっていいんです。貴方が、この先この国に居るためには、私が出て行くしかないんです!私はもうこれ以上貴方が傷つけられて欲しくない!」
どちらも譲る気がない、一向に平行線を辿るばかりだった。
だから、隠してしまえば、この家から出れなくしてしまえば問題ないと思った。部屋に鍵をかけて、出れないようにして、このアトリエに閉じ込めた。
しかし、気がつけば、彼は窓を開けて、この崖の下へ、どうやったのか、消えていたのだった。
彼の居ない世界はなんと退屈なのか、それを知った。そしてそんな世界は、自分には必要なかった。
思い出したように、居ないと解っている彼を、家中探しまわった。
彼が居なければ、何が何処にあるのかさへ解らなかった、解らなくても、よかった。
全部、消えてしまえば良い。そう思った。
「綺麗な絵を、書くんですね、フェリシアーノくん」
黒い髪の、黒い眸の、美しい人が、そういった微笑んだ。
「それは、誰ですか?」
今しがた書いていた絵を指差して、どうした訳か、彼は声を震わせた。
けれど、それは自分にも解らないことだから、どうしようもないが、答えられなかった。
「う〜ん、誰だろう?でも・・・多分、俺の好きな人」
この部屋の中には、何枚も、何枚もこの部屋から見える景色と同じ数くらいあるのではないだろうか、黒髪、黒い眸の誰だかわからない誰かを描いたものがある。
パネルの大きさはまちまちで、体の一部だったりするのだけれど、不思議と、これが全て同じ人物を描いている、ということだけは、記憶の波が引いて、何も解らなくなっても、見れば思い出すことができた。
「そうですか・・・・私のことは、覚えて・・・いません、か?」
苦しそうに、彼は言う。
「ごめんね、俺・・・・俺・・・・思い、だせなくて・・・」
「いっいいんですよ!」
目の前で彼は両手をぶんぶん振って焦ったように目を見開いた。
「フェリシアーノくん、」
「フェリシアーノ?それが、君の名前?」
「いいえ、貴方のお名前ですよ、」
「え、あ、そっか、うん。俺、フェリシアーノ」
「はい。私、私の名前は、本田、菊、ともうします」
「そう、菊、綺麗な名前。キク、キク・・・・菊?」
どこかで聞き覚えがある気がした。記憶の波が引く前に、落ちていた紙に、菊、と書き留めた。
「きく、きく・・・・・えっと・・・・」
部屋中に散乱した紙切れを漁る。
確か、どこかにそれと同じ文字を見た気がする。この記憶の波が、引いてしまう前に、探し当てなければ。
「フェリシアーノくん?」
後ろから、心地よい音の、誰かの声がした。
「菊、キク、きく・・・・・あ、これだ」
取り出したのは、分厚いふくれあがった封筒。中に何が入っているのかは、記憶の波が満ちていても、思い出せない。
「あっ、兄ちゃん、これ、出しといて?」
背後に立っていたその人に言う。
「えっ?・・・・・ああ、はい、わかり、ました。」
首を傾げる。彼は、何故か顔をくしゃくしゃにして、笑った。
また、記憶の波が、引いて行く。
遠くで汽笛の音がする。
彼が、誰か、もう、解らない。
「彼?彼って、誰?誰?・・・・なに____なんだっけ?」
「だから言ったろ、今更どうしようもないって」
ロヴィーノは、階段に座り込んで泣いていた菊に言った。
「・・・わかって、ました。」
「じゃあ、なんで泣くんだよ。」
彼が、自分の所為でこんなことになったのだから、当たり前のことだ、と言ってしまいたかったが、ロヴィーノくんも、また責任を感じているのだから、それは言わない方がいいことなのだと、心の底に仕舞った。けれど、仕舞いきれなかった感情があふれる。
「・・・どうしようも、なかったんです・・・・・。私が行かなければ、貴方も、あの人も、暴徒と化した街の人に殺されかねなかった・・・。」
「俺は、これでよかったと思ってる。お前が行かなきゃ、いつかあいつはお前を殺してた。今だって、たまにわかるように成ったとき、お前のことを探してんだ・・・片手にしっかり包丁握ってさ、」
ゆらゆらと、虚ろな眸で思い出せもし無い誰かを探しまわる弟の姿を見て、哀しくなる。
しかし、菊は涙を拭って、ぽつり、ともらした。
「殺されたって、よかったんです・・・・それだけ、私を愛してくれているって、ことでしょう?」
瞠目を隠せず、じっとまじまじと見つめてしまって、菊は苦々しく笑った。
「これを・・・。フェリシアーノくん、いつ書いたのか、ご存知ですか?」
分厚い封書。見せるその手が震えていた。
「さあ、どうだろうな・・・・手紙がまだ、かけたって事は、記憶が完全におかしくなる前なのは、確かだろうな。俺も、書いているのを見た事はない。」
いつ書いたというのか。菊が居なくなってから、何ヶ月もフェリシアーノは部屋から出てこなかった。
「そうですか。では、これを、彼がいつか気がつくところに、私のことが分かるときに、置いておいてくださいませんか」
菊はそういうと、同じくらいに分厚い封書を取り出した。
「・・・わかった。」
菊はひとつまた笑うと、立ち上がり、未練等ないというように、振り返らずに帰った。
忘れてしまえば、知らない振りをすれば、楽なのに、それもできないくらいに心から愛していた。もはや、これは愛より執着に近い。
愛が憎しみに変わる程、自分の知らない世界が彼にあることが、耐えられなかったのだ。
同じ物をみて、同じ音を聞いて、同じ道を歩んでいたいと願った。
けれど、同じ物を見て同じ音を聞いて同じ道を歩んでも、そこには超えられない一線があって、どうやってしても、同じ気持ちを、同じことを、考えることができなかった。
そんな些細な違いさえももどかしかった。
だから、それならせめて、ずっと自分だけを見ていて欲しかったのだ。
空は晴れ渡り、澄み切って、この地上に立ちすくむ醜い自分の存在を赦さないような色をして、責めた。
窓から注ぐ太陽の光が眩しく床を、散乱した衣服を、淫媚な空気を孕む部屋を照らす。
「どうして、貴方が泣くんです?」
菊が、輝きを失った真っ黒な髪を梳いていた手に、小さな手を重ねて来て、言った。
泣いている事に気がつかなかったから、「泣いてる?」と聞き返すと、その手が頬を拭ってくれた。
「貴方は本当に、泣き虫さんですね」
彼のバター色の膚に散る赤い模様を辿る目をそのままに、心地よい声を聞いていた。
「・・・泣いてないよ、」
「泣いてますよ。」
掠れた声の返事をもらって、ふ、と笑った。
「そう、笑ってくださいな。私は・・・・フェリシアーノくんにはその顔の方が似合うと思います」
何処までも、彼は優しかった。
どれだけ傷つけても、むちゃくちゃにしても、彼はそうやって、笑うのだった。
それがまた、この心に重くのしかかるというのは、彼は知らないのだろう、彼には理解できないのだろう。愛しいというのに、こんなにも笑顔が憎い。
その、笑顔が、眼差しが、声が、耳が、膚が、全て自分のものになればいいのに。
きっとそれを言ったって、菊は笑って、「いいですよ」と言うのだろう。
「ねえ、菊、愛してる。だから、ずっと、俺だけを見てて・・・」
滑らかな膚を、指で辿りながら、そう言うと、少し頬を上気させて、菊は一つ、頷いた。
遠くで、船の汽笛が大きくなり響いた。
「フェリシアーノくん、すみません。わたし・・・・ここを出ようと思います。」
菊は、項垂れてそういった。
戦争が激しくなって、異国人の排斥運動が厳しくなってきたころだった。
何度か、ここに住む菊のことをどこからか聞きつけて、出て行けと何人かが抗議にやってきたことがあった。
そのうち、もっと戦争は危機的状況になり、いつの間にか、この街から彼と同じ色の眸と、髪を持つ人は誰もいなくなった。こんな小さな港町だ、それも仕様のないことだった。
「やだ。やだよ!だって、菊はなにも悪い事しないもん!俺、絶対守るから、だから、行かないでよ!」
「違うんです、私はどうだっていいんです。貴方が、この先この国に居るためには、私が出て行くしかないんです!私はもうこれ以上貴方が傷つけられて欲しくない!」
どちらも譲る気がない、一向に平行線を辿るばかりだった。
だから、隠してしまえば、この家から出れなくしてしまえば問題ないと思った。部屋に鍵をかけて、出れないようにして、このアトリエに閉じ込めた。
しかし、気がつけば、彼は窓を開けて、この崖の下へ、どうやったのか、消えていたのだった。
彼の居ない世界はなんと退屈なのか、それを知った。そしてそんな世界は、自分には必要なかった。
思い出したように、居ないと解っている彼を、家中探しまわった。
彼が居なければ、何が何処にあるのかさへ解らなかった、解らなくても、よかった。
全部、消えてしまえば良い。そう思った。
「綺麗な絵を、書くんですね、フェリシアーノくん」
黒い髪の、黒い眸の、美しい人が、そういった微笑んだ。
「それは、誰ですか?」
今しがた書いていた絵を指差して、どうした訳か、彼は声を震わせた。
けれど、それは自分にも解らないことだから、どうしようもないが、答えられなかった。
「う〜ん、誰だろう?でも・・・多分、俺の好きな人」
この部屋の中には、何枚も、何枚もこの部屋から見える景色と同じ数くらいあるのではないだろうか、黒髪、黒い眸の誰だかわからない誰かを描いたものがある。
パネルの大きさはまちまちで、体の一部だったりするのだけれど、不思議と、これが全て同じ人物を描いている、ということだけは、記憶の波が引いて、何も解らなくなっても、見れば思い出すことができた。
「そうですか・・・・私のことは、覚えて・・・いません、か?」
苦しそうに、彼は言う。
「ごめんね、俺・・・・俺・・・・思い、だせなくて・・・」
「いっいいんですよ!」
目の前で彼は両手をぶんぶん振って焦ったように目を見開いた。
「フェリシアーノくん、」
「フェリシアーノ?それが、君の名前?」
「いいえ、貴方のお名前ですよ、」
「え、あ、そっか、うん。俺、フェリシアーノ」
「はい。私、私の名前は、本田、菊、ともうします」
「そう、菊、綺麗な名前。キク、キク・・・・菊?」
どこかで聞き覚えがある気がした。記憶の波が引く前に、落ちていた紙に、菊、と書き留めた。
「きく、きく・・・・・えっと・・・・」
部屋中に散乱した紙切れを漁る。
確か、どこかにそれと同じ文字を見た気がする。この記憶の波が、引いてしまう前に、探し当てなければ。
「フェリシアーノくん?」
後ろから、心地よい音の、誰かの声がした。
「菊、キク、きく・・・・・あ、これだ」
取り出したのは、分厚いふくれあがった封筒。中に何が入っているのかは、記憶の波が満ちていても、思い出せない。
「あっ、兄ちゃん、これ、出しといて?」
背後に立っていたその人に言う。
「えっ?・・・・・ああ、はい、わかり、ました。」
首を傾げる。彼は、何故か顔をくしゃくしゃにして、笑った。
また、記憶の波が、引いて行く。
遠くで汽笛の音がする。
彼が、誰か、もう、解らない。
「彼?彼って、誰?誰?・・・・なに____なんだっけ?」
「だから言ったろ、今更どうしようもないって」
ロヴィーノは、階段に座り込んで泣いていた菊に言った。
「・・・わかって、ました。」
「じゃあ、なんで泣くんだよ。」
彼が、自分の所為でこんなことになったのだから、当たり前のことだ、と言ってしまいたかったが、ロヴィーノくんも、また責任を感じているのだから、それは言わない方がいいことなのだと、心の底に仕舞った。けれど、仕舞いきれなかった感情があふれる。
「・・・どうしようも、なかったんです・・・・・。私が行かなければ、貴方も、あの人も、暴徒と化した街の人に殺されかねなかった・・・。」
「俺は、これでよかったと思ってる。お前が行かなきゃ、いつかあいつはお前を殺してた。今だって、たまにわかるように成ったとき、お前のことを探してんだ・・・片手にしっかり包丁握ってさ、」
ゆらゆらと、虚ろな眸で思い出せもし無い誰かを探しまわる弟の姿を見て、哀しくなる。
しかし、菊は涙を拭って、ぽつり、ともらした。
「殺されたって、よかったんです・・・・それだけ、私を愛してくれているって、ことでしょう?」
瞠目を隠せず、じっとまじまじと見つめてしまって、菊は苦々しく笑った。
「これを・・・。フェリシアーノくん、いつ書いたのか、ご存知ですか?」
分厚い封書。見せるその手が震えていた。
「さあ、どうだろうな・・・・手紙がまだ、かけたって事は、記憶が完全におかしくなる前なのは、確かだろうな。俺も、書いているのを見た事はない。」
いつ書いたというのか。菊が居なくなってから、何ヶ月もフェリシアーノは部屋から出てこなかった。
「そうですか。では、これを、彼がいつか気がつくところに、私のことが分かるときに、置いておいてくださいませんか」
菊はそういうと、同じくらいに分厚い封書を取り出した。
「・・・わかった。」
菊はひとつまた笑うと、立ち上がり、未練等ないというように、振り返らずに帰った。
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西條事情
店主:西條
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