冬の夜
露日。
冬の夜
はあ、と息を吐いたら、白く色づいて、温めようと出した手の先を少しも温めてくれない。
吐いた息は風に攫われてしまった。
太陽も沈んだ空は澄み切った空気のもと、綺麗に星を見せてくれている。
斬りつけるような冷たい風が吹き付けて、頬と耳の感覚が消えた。
握り込んだ手の甲も指も、凍り付いている。
空を飛んで行く飛行機が、小さく音を立てて遥か彼方の空を飛んで行く。
きっとあれは彼の家から誰かの家へ行く飛行機に違いない。
こんなとき、この夜空が憎らしくなる。
空を飛ぶ飛行機も、今すぐ落ちてしまえばいいと思ってしまうのだ。彼のところから、自分以外の誰かのところへ向かうそんな飛行機は、居ない方がいい。
けれど、確かに自分の上を通って飛んで行く飛行機が別の誰かのところにいくという確証がないから、撃ち落とすなんてできないし、そんな物騒な時代でもない。
あれに乗って、彼がここまで来てくれたらいいのに、と思いを込めて、思いというか呪いを込めて空をもう一度見上げた。
図体ばかり大きくて、気味が悪いと言われる自分の上を通らずして、誰もかれのもとへは行けない。それだけは誇るべきことだ。
さく、と霜を付けた草を踏む。ぱりりと小気味いい音がする。
ふ、と息を吐いた。今度はさっきよりももっと濃く白く色づいた。
ずっと先の方に、誰かの家の灯りが見える。温かなオレンジ色の光が見えて、脳裏にはずっと昔、誰かと暮らしていた時のことが思い浮かんだ。
食事を作る姉さん、それを手伝いながら、こちらを見ることをやめない妹。貧しいけれど、それはそれで幸せだったかもしれない。今はもう、分からないけれど。
「・・・ついてこないでよ」
背中から、ずっとさっきから離れてくれない気配。冬の王を、振り返ることなく、制止した。それも、無駄なことだとは分かってはいるのだけれど。
「すみませんね、勝手についてきて。」
冬の王は、しゃべらない。いや、しゃべったとしても、こんな声ではない。
嫌に優しく手触りの良いヴェルヴェットのような声が背中からかぶせられた。
この声には、聞き覚えがあったし、今しがた、狂気に満ちた思いを燻らせていた相手そのものだった。
「日本、くん?」
また、ざりと音をさせて振り返ると、防寒具もろくに付けていない、闇に溶け込むようなその姿があった。
彼の膚は闇の中でも分かる程、白くなって、鼻の頭と頬は赤い。
「こんな格好で・・・」
思わず、その小さな体を腕の中に抱き込んでいた。冷えきっているのが、服の上からでもわかる。
「どうしたの?どうしてここにいるの?」
「・・・貴方の家に行きましたら、ちょうど、見知ったシロクマがその辺をふらふらと歩き始めたのがみえたので。」
見知ったシロクマ。
「それ、僕のこと?」
「それ以外に誰かいますか?」
身長差が大きく、彼の顔を見ることは出来ず、表情は伺い知れないが、確かに彼の声は少し怒っている。
「何で怒ってるの?」
聞いても、教えてくれないかもしれない、そう思いながら、彼の耳元に唇を寄せて、丁寧に聞いた。彼はしばらく黙ったままで、答えようとしなかった。
「貴方、・・・・・いつもこんな風に一人で夜歩き回ってるんですか」
やはり、答えてはくれるつもりはないらしい。日本くんは、話をはぐらかすのが巧いのだ。
「まあね」
その言葉を最後に、2人の間には言葉が消えた。
白い息が、交互に浮かぶ。
無理矢理腕の中から脱出した彼は、手袋をしている手で、何もはめていない冷えきった手をきつく掴んで歩き出した。さっき、一人で来た道を2人で帰る。
手を引かれながら、空を見上げたら、また一つ、飛行機が飛んでいた。
行きに見上げていた飛行機とは反対側を通って、きっとあの飛行機は彼の国に行き着く飛行機だろう。これから何時間かかかって遠い彼の地に降り立つのだ。
鍵をかけていない扉は、すんなりと彼の手をもってして開いてしまった。怪訝な顔をして彼は、こちらを振り返った。
この扉は以前、彼、日本くんが訪問してくれたのが嬉しかったあまり、即座に追掛けようとして、あまりにも勢い良く開けた所為で、壁にへこみを作った物で、ドアノブはあの後、何がどうなったのか歪んでしまったのだが、面倒なのでそのままにしてある。どうせ、ここ、この家に訪問するのは自分たちだけ。自分か、妹か、姉か、それか、今自分の手を引いている彼、だけで、他の誰もここの場所を知らないのだから。
表向きの家は、もっと都会にあって大きくて、そして見栄を張るみたいに豪奢な作りだ。
けれど、このダーチャは自分一人で作ったからその家よりもずいぶん狭いし、所々傾いている。けれど、少しずつ、少しずつ手を入れて行ったこのダーチャはその分愛着もある。
向日葵色の壁も、古びた、けれどまだ現役で使える暖房器具も、寝るたびにギシギシ言うベッドも、時々砂嵐しか映らなくなるテレビも、戦前に貰ったラジオもみんな虚栄の城よりももっとずっと心を温めてくれるし、今や一人きりとなった自分には丁度良かった。夏にはバラや向日葵、いろんな咲き乱れて青々とした木々も美しいし、野菜だって作れるのだから。
それを見た日本くんは、以前、「秘密基地みたいで素敵ですね、」と言って笑った。「私は都会のあの家よりも、こちらのほうが貴方らしいと思うし、私もこちらの方が好きです、」と。
「・・・ロシアさん?どうしました?入らないんですか」
ようやく彼が口を開いて、はっとして前を見ると、扉を開けて中に入った彼が、不思議そうにこちらを見ていた。
家の中は、あの時、遠くの方でみた家の中と同じように、温かな色をしていた。
「うん。入る。」
ぎしり、と音を立てて扉を閉めると、寒さを防ぐために二重にした扉をもう一つ、閉める。
廊下の脇に付けられたコートハンガーにコートを掛けて、今度はこちらから受け取った大きなロングコートも、悪戦苦闘しながら整えている日本くんを見て、なんだか笑みがこぼれた。
なんだか夫婦みたいだね、なんて言ったらきっと、一日は口を聞いてくれなくなるだろうから言わないけれど、それくらいに、心が温かくなったのだ。
「ねえ、日本くん。僕、日本くんのこと、すごく愛してるよ」
そういうと、顔を赤くした彼は、無表情で、
「知ってます」
とぶっきらぼうに答えただけだった。
はあ、と息を吐いたら、白く色づいて、温めようと出した手の先を少しも温めてくれない。
吐いた息は風に攫われてしまった。
太陽も沈んだ空は澄み切った空気のもと、綺麗に星を見せてくれている。
斬りつけるような冷たい風が吹き付けて、頬と耳の感覚が消えた。
握り込んだ手の甲も指も、凍り付いている。
空を飛んで行く飛行機が、小さく音を立てて遥か彼方の空を飛んで行く。
きっとあれは彼の家から誰かの家へ行く飛行機に違いない。
こんなとき、この夜空が憎らしくなる。
空を飛ぶ飛行機も、今すぐ落ちてしまえばいいと思ってしまうのだ。彼のところから、自分以外の誰かのところへ向かうそんな飛行機は、居ない方がいい。
けれど、確かに自分の上を通って飛んで行く飛行機が別の誰かのところにいくという確証がないから、撃ち落とすなんてできないし、そんな物騒な時代でもない。
あれに乗って、彼がここまで来てくれたらいいのに、と思いを込めて、思いというか呪いを込めて空をもう一度見上げた。
図体ばかり大きくて、気味が悪いと言われる自分の上を通らずして、誰もかれのもとへは行けない。それだけは誇るべきことだ。
さく、と霜を付けた草を踏む。ぱりりと小気味いい音がする。
ふ、と息を吐いた。今度はさっきよりももっと濃く白く色づいた。
ずっと先の方に、誰かの家の灯りが見える。温かなオレンジ色の光が見えて、脳裏にはずっと昔、誰かと暮らしていた時のことが思い浮かんだ。
食事を作る姉さん、それを手伝いながら、こちらを見ることをやめない妹。貧しいけれど、それはそれで幸せだったかもしれない。今はもう、分からないけれど。
「・・・ついてこないでよ」
背中から、ずっとさっきから離れてくれない気配。冬の王を、振り返ることなく、制止した。それも、無駄なことだとは分かってはいるのだけれど。
「すみませんね、勝手についてきて。」
冬の王は、しゃべらない。いや、しゃべったとしても、こんな声ではない。
嫌に優しく手触りの良いヴェルヴェットのような声が背中からかぶせられた。
この声には、聞き覚えがあったし、今しがた、狂気に満ちた思いを燻らせていた相手そのものだった。
「日本、くん?」
また、ざりと音をさせて振り返ると、防寒具もろくに付けていない、闇に溶け込むようなその姿があった。
彼の膚は闇の中でも分かる程、白くなって、鼻の頭と頬は赤い。
「こんな格好で・・・」
思わず、その小さな体を腕の中に抱き込んでいた。冷えきっているのが、服の上からでもわかる。
「どうしたの?どうしてここにいるの?」
「・・・貴方の家に行きましたら、ちょうど、見知ったシロクマがその辺をふらふらと歩き始めたのがみえたので。」
見知ったシロクマ。
「それ、僕のこと?」
「それ以外に誰かいますか?」
身長差が大きく、彼の顔を見ることは出来ず、表情は伺い知れないが、確かに彼の声は少し怒っている。
「何で怒ってるの?」
聞いても、教えてくれないかもしれない、そう思いながら、彼の耳元に唇を寄せて、丁寧に聞いた。彼はしばらく黙ったままで、答えようとしなかった。
「貴方、・・・・・いつもこんな風に一人で夜歩き回ってるんですか」
やはり、答えてはくれるつもりはないらしい。日本くんは、話をはぐらかすのが巧いのだ。
「まあね」
その言葉を最後に、2人の間には言葉が消えた。
白い息が、交互に浮かぶ。
無理矢理腕の中から脱出した彼は、手袋をしている手で、何もはめていない冷えきった手をきつく掴んで歩き出した。さっき、一人で来た道を2人で帰る。
手を引かれながら、空を見上げたら、また一つ、飛行機が飛んでいた。
行きに見上げていた飛行機とは反対側を通って、きっとあの飛行機は彼の国に行き着く飛行機だろう。これから何時間かかかって遠い彼の地に降り立つのだ。
鍵をかけていない扉は、すんなりと彼の手をもってして開いてしまった。怪訝な顔をして彼は、こちらを振り返った。
この扉は以前、彼、日本くんが訪問してくれたのが嬉しかったあまり、即座に追掛けようとして、あまりにも勢い良く開けた所為で、壁にへこみを作った物で、ドアノブはあの後、何がどうなったのか歪んでしまったのだが、面倒なのでそのままにしてある。どうせ、ここ、この家に訪問するのは自分たちだけ。自分か、妹か、姉か、それか、今自分の手を引いている彼、だけで、他の誰もここの場所を知らないのだから。
表向きの家は、もっと都会にあって大きくて、そして見栄を張るみたいに豪奢な作りだ。
けれど、このダーチャは自分一人で作ったからその家よりもずいぶん狭いし、所々傾いている。けれど、少しずつ、少しずつ手を入れて行ったこのダーチャはその分愛着もある。
向日葵色の壁も、古びた、けれどまだ現役で使える暖房器具も、寝るたびにギシギシ言うベッドも、時々砂嵐しか映らなくなるテレビも、戦前に貰ったラジオもみんな虚栄の城よりももっとずっと心を温めてくれるし、今や一人きりとなった自分には丁度良かった。夏にはバラや向日葵、いろんな咲き乱れて青々とした木々も美しいし、野菜だって作れるのだから。
それを見た日本くんは、以前、「秘密基地みたいで素敵ですね、」と言って笑った。「私は都会のあの家よりも、こちらのほうが貴方らしいと思うし、私もこちらの方が好きです、」と。
「・・・ロシアさん?どうしました?入らないんですか」
ようやく彼が口を開いて、はっとして前を見ると、扉を開けて中に入った彼が、不思議そうにこちらを見ていた。
家の中は、あの時、遠くの方でみた家の中と同じように、温かな色をしていた。
「うん。入る。」
ぎしり、と音を立てて扉を閉めると、寒さを防ぐために二重にした扉をもう一つ、閉める。
廊下の脇に付けられたコートハンガーにコートを掛けて、今度はこちらから受け取った大きなロングコートも、悪戦苦闘しながら整えている日本くんを見て、なんだか笑みがこぼれた。
なんだか夫婦みたいだね、なんて言ったらきっと、一日は口を聞いてくれなくなるだろうから言わないけれど、それくらいに、心が温かくなったのだ。
「ねえ、日本くん。僕、日本くんのこと、すごく愛してるよ」
そういうと、顔を赤くした彼は、無表情で、
「知ってます」
とぶっきらぼうに答えただけだった。
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西條事情
店主:西條
リンク:同人サイト様のみ
店名:三日月商會
アドレス:http://blaueterra.blog.shinobi.jp/
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