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記憶に刻まれた匂い

伊日。
地味に前作(花片幽)とリンク。
記憶に刻まれた匂い





その時代の記憶は、暗く、光のない中で見る映画のようで、只でさえ暗いのに、曖昧で断片的なものしか思い出すことができない。
思い出すのは、鬱々とした記憶だけで、確かにその時代にも楽しかったことはあった筈だが、記憶の彼方、霧靄の中にあって見えないのだ。
柔らかく髪を撫でてくれる指の暖かさや、抱きしめてくれる腕の強さ、鼻をくすぐる軽く甘やかな香り、そんなものすら思い出すことができない。それが、誰であったのかも。
目の前の、入れたての緑茶がふわりと湯気を立てて、芳醇な香りを醸す。すっと息を吸えば、胸一杯にその美しい香りが広がった。
ふ、とため息をつく。
居間の向こう、縁側のその先は、晴れ晴れとした空の下に輝く草花が見えるが、日本家屋の特徴である薄暗さの中にいると、切り取られた窓の外、異世界にさへ見えるのだ。現に、今、この晴れ渡った空の下だというのに、家の中は暗くのたりとした空気につつまれているのだから。
一人で家にいて、特に何をする訳でもない、ただ、こうして円卓の前に座っていると、記憶が押し寄せてくる。普段は忘れている記憶もあるだろうが、この身に刻まれた記憶は、時折浮上して不可思議な気分にさせる。悠久を生きる自分たちにしか、恐らくそれを味わうひともいないから未だそれを何と表現すればよいのかも分からない。
そのまま、記憶の海に飛び込み、大きく手でそれを掻く。ずぶり、とまた一層奥深くに潜る。磨り硝子の向こう側は、定かではない。
その向こうにいる誰かは、私の髪を梳いてそしてやさしく抱きしめるのだ。白く埋もれる感覚の向こう、幸せに唇の端が上がるのが分かった。
そうだ、それは確か彼だった。この甘い香りは彼の付けている香水の香りだ。俄かに記憶の靄が晴れると、目を開けた。
「ヴェっ!」
目を開いて最初に耳に届いたのは、今しがた、記憶の中で垣間みた彼の声で、はっとして視線を巡らすと、ちょうど、知らないうちに円卓に伏せていたようで、その正面に、身を乗り出した形の彼が見えた。
「・・・イタリア、くん?」
眠っていたのか、口から出た声は、かすれて、低い。
目を塞ぐまでは、彼の姿は無かった筈で、ならば彼はいつ、ここにやってきたのか、不思議に思いながらも、彼なら、合鍵を持っているのだから、いつもは律儀にチャイムを鳴らしてくるが、返事が無ければ自分で入って来れるのだ。名前を呼ぶと、慌てた様に、彼は「ヴェッ!」と上擦った声を出した。不思議な、いままでにされたことの無い反応に、首を傾げながらも、伏していた体を背筋をしゃんとのばして元に戻す。
「貴方の、昔の記憶を辿る、夢を見ました・・・。貴方の指が、優しく私の髪を梳いて、貴方の甘い香水の匂いを胸一杯に取り込む、そんな記憶を」
いいながらまた、思い出して笑みがこぼれる。
愛しい記憶とは、なんど繰り返し記憶を辿っても、愛しく輝くままで、その度胸が暖かくなるものなのだと、初めて知ったのだ。
「どうしたんですか・・・?」
言った後、無言で、いつもなら二言三言、話を返してくれる筈の彼の様子が気になって問う。
「ヴェッ!な、何でも無い・・・っ!」
柄にも無く、頬を染める彼は、明らかにおかしいのに、何でも無い、と言う。ますます気になって詰め寄ると、降参したのか、両手を上げてホールドアップのポーズを取った。
縁側のガラス戸に背をもたれさせながら、背後に逃げ道が無いと知って、白旗をあげる様は、彼があの時より何ら変わっていないことを示している。そう、記憶の海の磨りガラスの向こうの彼と、同じ。
「う〜〜っ!ひ、卑怯だよ!」
「・・・?はい?」
さらに詰め寄ったら、今度は肩に手をかけられてしまい、背後に畳がある。視界には、天井と、いま、まさに手をかけてきたイタリアくん、その人しかいない。
「も〜う、日本!だから、そういうの、だめ!」
そうやって、無意識でも誘うと、俺、我慢できないよ!そういって、肩口にかぷり、と噛み付かれてしまった。
「っ!」
びりりと足先から電流が走る。ぎゅっと足を丸めた。
「そ、それより、いつ来たんですか?全然気がつきませんでした。」
頬を舐められて、背を撓らせながら、早口で聞くと、ん、と一瞬口を離して目を合わせる。
「んとね、多分、日本が机に突っ伏したくらい?」
・・・結構前からじゃないですか、と突っ込みたかったが、彼の下が口を犯してそれは叶わなかった。
「んっ」
片方の手が、割れた着物の裾から忍び込み、大腿を撫でて中心へ向かう。
深く差し入れられて荒らされている咥内のせいで、すでに淡く主張し始めているそれを、そっとなで上げられて、腰が浮いた。
慣れた手つきで、腰の帯を解かれると、襦袢の帯も同じくほどかれてしまった。外気にさらされた体に、ぞっとして身震いすると、もう片方の手が胸の飾りを弄ぶ。気が遠くなるほどの快楽に、理性だとか、先ほどまでの記憶の波だとか、そういった現実はすべて消し去ってしまった。

「俺もね、たまにだけど、夢を見る時があるんだ」
気怠い事後の空気が、まとわりつくように体を撫でる。
眠たそうに瞬きをする日本を見つめて、イタリアは言った。日本の首筋や鎖骨、着衣でも見える位置にまで散りばめられた赤い印は彼の嫉妬深さと、敵の多さを物語っている。
「ゆめ、」
「うん、昔、俺夢で日本にあったことがあるんだよ。知ってた?」
そんな話は誰にもしたことがないから、日本が知っている筈がないのは、イタリアも重々承知でそう問いかける。
幼い頃に見た夢では、日本の小さな姿と、石畳、赤い鳥居(その当時は鳥居、というのだとは知らなかった)黄色、紫、白、赤、の風にはためく旗。
半蔀。悲しい音階の手鞠歌。
一度きりで、それも一瞬に誓い邂逅ではあったけれど、それは鮮明に思い出せる。
「・・・幼い頃に、貴方によく似たくるんを持った、不思議な衣装の女の子には、あったことがありますよ。」
「!」
それは、多分、貴方だったのではと思います。忘れていましたけど、と言って日本は笑った。
記憶の海の底、彼をたどって最古の記憶にまで行き着いた。今の今までずっと忘れていたのに、ふと、そんなことを思い出したのだ。
「ずっと、貴方にお会いしたいと、思っていたのですね、今更、ですけどね」そういう日本を愛しさがあふれてまた抱きしめた。

あの日、あの時、息も忘れて、埋もれてこのまま消えて行きたいと思っていた自分を掘り起こし、そして涙をこぼしながらも抱きしめて暖めて、そして優しくキスをしてくれたのは、記憶に映像がなくても、記憶に音がなくても、ただ一つ、記憶に刻まれた匂いだけがそれを忘れず覚えていてくれる。
それは永遠に忘れられることなく、記憶の底に追いやられても、必ず浮上して胸を締め付け暖かくする。
ふっと息をついて、やがてくる記憶の波に身を任せるため、目の前の温かな彼の膚に、顔を押し付けた。
彼は拒むことなく、むしろそれを楽しむかのようにぎゅっとまた体を押し付ける。柔らかい生身の膚が心地よく、そしてあのときと同じ、甘い、しかし爽やかな彼独特の香りが肺を満たした。
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